WINE BAR MAGARRI店主のミズコウです。
アナタはマニュエル・オリビエ氏をご存じでしょうか?
ワタシは知りませんでした(ヲイ)
らしいです(丸投げ!)
とは言え「どちらのドメーヌなの?」と奥さんは嫌味な半笑いでお聞きになるでしょう。
そのドメーヌとは?
どうですか?奥さん。
あのロマネ・コンティですよ?
いや、ちげーよ!オイルかけながら焼く料理はコンフィだからっ!!
ええ、このワインうちで飲めるんですYO!
今ブルゴーニュでは、世代交代や外部からの情熱あふれる若い生産者が入り、変革の時代を迎えています。 活躍する若手の醸造家、ブルゴーニュへの憧れが高じてよそから移り住んだワイン生産者、さらにアメリカ人やカナダ人の熱心な若者がワインを造り、その品質から名を知られる…
こんな出来事が頻繁に見られるようになってきました。
彼ら新しい生産者達は、ブルゴーニュの土地、伝統へ敬意を表しつつ、 最高のワインを造るため努力を惜しみません。
その仕事が今着実に評価され始めています。
ドメーヌ・マニュエル・オリヴィエ
ビオロジック栽培、ビオディナミ栽培を研究し、その長所をいくつも取り入れています。
●有機肥料の使用
化学肥料では強すぎて、却って過保護になるため葡萄の木の力を弱めてしまうため使用しません。
●除草剤の廃止
除草剤の使用を考えるよりも、畑で働くことを選択すること。
除草剤は土地の力を弱め、多くの生産者はその弱さを補うために化学肥料を使用する。
その結果、数年後には葡萄の木自体が弱くなってしまいます。
ワインは軽くなり、土地の特徴というべきものはワインに見出せなくなる。
彼らはこのような悪循環を避けるため、リュット・レゾネを実践します。
合理的な方法をとりながら、葡萄の木を守っていくためです。
マニュエル・オリヴィエのもう一つの顔はコンサルタント。
短期間で一足飛びに一流生産者の仲間入りを果たした彼のアドヴァイスを受けようと、多くの生産者が彼に助けを求めます。
畑仕事と醸造という過密スケジュールの合間を縫って、彼はクライアントの為に最適なアドヴァイスを提供します。 驚きなのは、何とあのD.R.C.(ドメーヌ・ド・ラ・ロマネコンティ)までが、ワインの熟成に関して彼のコンサルタントを受けているという事実!!
神秘、奇跡とも言われる「ロマネ・コンティ」を単独所有する醸造元として知らぬ者のない名門中の名門。
略称としてDRCと呼ぶ場合が多いです。 ラ・ターシュを始めとする、高名なグラン・クリュ畑を所有しており、ラベルにはワインごとにその年の生産本数と瓶詰め番号が記されています。
ドメーヌの現当主オベール・ド・ヴィレーヌの家系が、ロマネ・コンティの所有権を得たのは1869年。
以来、同家はロマネ・コンティのオーナーとしてのみでなく、リシュブール、グラン・エシェゾー、エシェゾーの一部を所有する、小さいながらもブルゴーニュ最高の醸造家として名声を博してきました。
1933年にはラ・ターシュのすべてを買い取り、1946年にはロマネ・サンヴィヴァンの耕作権の一部を取得(1988年に畑を買収)1963年にモンラッシェの数うねを買収と「王冠」
ロマネ・コンティの周囲を飾る数々の宝石を入手しました。原石に磨きをかけ、一層の輝きをそえてきました。
この間、1942年にはドメーヌを会社組織にし、正式名称を「ソシエテ・シヴィル・デュ・ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ」としました。
リリースされるワインは次の通りです。
ロマネ・コンティ、ラ・ターシュ、リシュブール、ロマネ・サン・ヴィヴァン、グラン・エシェゾー、エシェゾー、モンラッシェ。
もちろんご存じのように「ロマネ・コンティ」「ラ・ターシェ」はモノポール。 一番多いサン・ヴィヴァンで年産20000本強。
モンラッシェに至っては 3000本以下。
徹底したブドウの選別作業や収穫年の状態に合わせて行われる除梗、発酵温度は32~33度、必ずトロンセ産新樽100%による長期発酵、澱引きや濾過を最小限に止めて作られるDRCのワインは 「飲み手の魂を吸い取る」とまで賞されます。
昨今、自然派だBIOだともてはやされている微妙な味のワインの多い事(苦笑)
それでいて、結構お値段お高めのモノが多いのもご存じでしょう・・・。
ワタシが個人的に試飲して仕入れを決めるのは、10本に1本くらいの確率です。
もうね、自然派とかBIOワインの商談してる最中に飲み過ぎてフラフラになっちゃうんだからねっ!!(お前の問題だから)
でも、このマニュエル・オリヴィエ氏の造るワインなら安心しておススメ出来ます。
なにせ、
ビオロジック栽培、ビオディナミ栽培を研究し、その長所をいくつも取り入れています。
ですからね。
さあ、アナタもぜひ美味しい自然派ワインを愉しんでくださいね。
Comments